農業土木学の再発見

志村先生の特別寄稿を読んで−

三重大学生物資源学部   溝口 勝

農業土木学会誌,57(4), pp.2-4(1989)

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 志村先生お元気でしょうか?学会誌第57巻第1号の 特別寄稿(1989.1)の誌上で,「農業土木学のロマン」 を熱く若者に語る,先生独特の“眼”を久しぶりに拝見 し,若手の一大学人としてエールを贈りたくペンを執り ました。私も三重大学に赴任してはや5年,その間,農 産物輸入自由化をはじめとする一連の農業批判,各国立 大学,研究機関の改組に伴う「農業土木」の名称の変更 など,いろんな意味で農業土木“学”について考えてき ました。そしてその結論として,先生がご指摘の「農業 土木学のロマン」の重要性に到達しました。得てして, われわれ新人類は,年寄り(失礼!)の言うことを素直 に聞かないふしがあります。現に私は学生時代から先生 のおっしゃることに刃向かうことも多かったように思い ます。しかし,いま「農業土木学のロマン」に関しては 先生の主張を素直に受入れ,一人でも多くの人々が農業 土木学に誇りを持ち,自由に語り合い,21世紀に向かっ て農業土木学を発展させることを期待しつつ意見を述べ たいと思います。

I. 時代の要請一農業土木

 最近,新聞紙上で,異常気象,地球の温暖化,オゾン 層の破壊,砂漠化,エルニーニョなどの用語が目につく ようになってきました。また,チェルノブイリの原発事 故,化学物質の地下水汚染など人間活動と自然との関わ り方が問題視されてきました。このような社会状況を受 けて,環境科学(地球科学)の分野が注目を集めていま す。現在高校で学ぶ理科Iの分野でも,生物学,化学, 物理学,地学と並んで「生態学」がクローズアップされ ています。しかし,この分野は,地学の一項目あるいは 生物学の一項目として扱われ,必ずしも独立した学問体 系になっていないようです。というのも,現在の生態学 は,理学的には自然生態系の解明が中心となり,工学的 には経済性・合理性の追求になる傾向があるからです。 しかし,いま必要とされているのは「自然と人間」をテ ーマとし,人間活動を主体とした人間と自然の調和の学 間なのです。すなわち,この分野では先生が言われてい る「複眼的」な見方がどうしても必要で,これはまさに 農業土木学が目指してきたことそのものです。

II. これまでの農業土木

 都市への人口の一極化が進む中で,農業土木は地道に 地域の整備・活性化を図っており,その役割の重要性を 否定することはできません。また,日本国憲法で「法の 下の平等」が保障されている限り,どんなに都市化が進 もうとも,農業土木事業のもつ地域の経済波及効果を無 視することはできません。その意味で行政機関としての 「農業土木」的な役割がなくなることはないでしょう。 しかし,それはあくまで農業土木関係者にだけ通用する 常識であって,一般人にとっては必ずしも認められては いないように思われます。現に日本国内に吹き荒れてい る農業批判は農業土木の宣伝不足,あるいは風通しの悪 さに起因する点も少なくありません。
 日本一の大企業NTTをもしのぐ「農業土木」という 一大組織。その団結力はきわめて固く,重要ではありま すが,かえってそのために柔軟性に欠ける点も少なくあ りません。健全な農業土木学を維持し,育成していくた めには,農業土木の学問としての体系を若者の感覚で, 自由に批判しあってゆくことが重要だと思います。

III. 若者はなぜ慶業土木を離れるのか

 感受性の強い,多感な若者(学生,院生,研究者)は, 学問に対して何らかの論理性や整合性を求めています。 しかし,今の農業土木では,事業遂行上に不明確な論理 が多く,またきわめて政治的色彩が強い部分が見られま す。若者には,農業土木は論理性を超越し,どこか遠い存 在という印象を与えます。先生も嘆いておられる若者の 農業土木離れの原因の一つはこの点にあると思います。 それでも,「その非論理性が農業土木の特質だ」と言われ るかも知れません。しかし,この特質の結果だけをどん なに説いてはみても,感覚的に“面白そう”でない限り, 若者は近づきもしません。いまの若者には,感覚的で分 かりやすいバイオ,エレクトロニクスなどの分野と農業 土木とでは選択段階以前に勝負がついてしまっていま す。パイテクが進歩すれば,いつでもどこでもスイッチ ひとつで手軽に食糧が作れるようになるのではないか? とか,ハイテクの進歩によって宇宙空間にも自由に居住 できるようになるのではないか?とか。パイテク・ハ イテクには小中学生がいかにも飛びつきそうな夢が浮か んでいます。
 「地域」という言葉はいまの若者にはウげません。田 舎の若者は誰しも一度は都会に憧れ,都会の若者は田舎 というだけで毛嫌いする雰囲気があります。そんな若者 たちをつかまえて「チイキ,チイキ」と言ってみたとこ ろで,その地元出身者以外は,よほどの変わり者か,根 っからの自然児でもない限り,自ら進んで地域に取組も うなどとしないでしょう。東南アジアをはじめとする海 外の農業開発にしても同様です。より多くの若者を引き つけるためには,視点を変えて,カッコイイ,ロマンを 感じさせる言葉で語りかげねばならないでしょう。
 これまでの大学の対応にも問題があります。大学は本 来研究機関と同時に教育(次世代を担う後継者の育成)と いう重要な責任を担っているはずです。学生は卒業後, 官公庁,研究機関,民間企業など何らかの農業土木関係 の仕事に就きます。しかし,近年,業界全体を揺るがす 農業批判のために,ややもすると大学は行政に振り回さ れ過ぎて,研究や教育を怠っていたのではないでしょう か。これは高度成長時代を境に,父親が子供に伝えるべ きものを伝えられなかったために生まれたコミュニケー ションの断絶に類似しています。大学が農業土木の重要 性,面白さを十分に伝えきれなかった結果として,学生 が卒業と同時に農業土木と完全に縁を切る傾向も生まれ てきました。いま大学がすべきことは,もう一度大学の 原点に立ち戻って,地道に研究活動を行い,その活動を 通して学生たちと農業土木学のロマンを語り合うことで はないでしょうか。
 いかに分かりやすく,農業土木学を若者に伝えるか。 その伝達方法にも工夫を凝らす必要があると思われま す。農業土木学を理解・消化し,分かりやすく,小中学生 にも伝えることも必要です。その意味では,学会の「川 と人間」のような企画は貴重と思われます。さらに,マ ンガ農業土木やファミコン農業土木ゲームなどの企画を 試みるのも面白いと思います。

IV. これからの農業土木学

 高度成長期ころまで農業土木は食糧生産のための場を 提供することで,その役割を果たしてきました。そして, それ以降は土地の生産性のみならず,土地の安全性,環 境の保全など,人間と自然との共存の場の提供という役 割の重要性が言われるようになってきました。現に土壌 物理の分野では早くから土壌生態系という立場から,物 理,化学,生物的な視点の融合を図ってきています。
 私は,農業土木学の目指すべきことは,「自然と人間 の調和学」を創ることだと思います。そのためには,こ れまで人類がたどってきた自然と農業の関係を歴史的に 正しく認識すると同時に,現代の農業土木が扱っている 基礎学の内部融合と農業土木学と他分野との外部融合を 図ることが必要だと思います。
 たとえば,内部融合の例として,先生も強調されてい る都市と農村の融合の問題を取上げてみましょう。 土壌物理学(正確には,コロイド科学ですが)の分野 では拡散二重層理論というのがあります。これは,土壌 溶液中のイオソが電気力と拡散力によって一つの平衡分 布をつくるというものです。東京への人口の一極化現象 も,これに類似しています。人間を引きつげる何かの力 によって東京へ人間が移動する一方で,東京に人間が集 中すればするほど逆に拡散力が働き,その両者の釣合い の結果として最も安定した人口分布ができると考えられ ます。
 実際の人口問題はそんなに単純ではないでしょうが, ひとつの農業土木学研究として,そんな調査研究や地域 計画法なんかがあってもいいと思います。農村計画と土 壌物理,一見関係のなさそうな農業土木の既成の分野を 結びつけて新しいことを考える。いろんな分野が混在す る農業土木学にはそうした発展方向もありそうです。 内部融合ですら面白そうなことがたくさんあるのです から,外部融合には無限の可能性がありそうです(もっ とも,学間分野を内部・外部と分けること自体,すでに 学問ではないと思うのですが)。
 先生がご指摘されているように,農業土木のテーマは 「地球的・人類史的」なものだと思います。そしてその 役割は,いわば地球のデザインであり,具体的には地域 のデザインだといえそうです。それを実現する農業土木 技術者は「グローバル・デザイナー」,あるいは「ルーラ ル・テザイナー」と呼ばれるきわめてカッコイイ,誇り を持ってしかるべき職業だと思います。(ただし,農業土 木というと技術者のためのものに陥りやすいのですが, あくまでもそこで生活する人,そこで農業する人「ルー ラル・マネジャー」が主人公でなければなりません。こ の点は海外援助の際にも十分考慮すべきことです)
 学問は遊び的な発想から生まれ,発展してきたのです。 学としての農業土木を創ろうとするならば,共通の目的 を持った遊び好きな人間が集まって,自由な発想,自由 な討論をすることが重要です。その意味でも,人間と自 然が共存できる地球をデザインすることは,これからの 農業土木学にふさわしいテーマだと思われます。

V.農業土木と大学教育

 大学の農業土木教育に対する行政サイドからの注文, コンサルタントに代表される殺人的な忙しさに追いまく られる業界からの要望は大変切実で,厳しいものがあり ます。こんな状況下で,大学が農業土木の「学問」論争 をしたならば,「今の農業土木にはなんの役にも立たな い,遊びじゃないか」と,いわれそうです。
 しかし,大学教育の中で若者に速効性を求め,結論ば かりを急がせることは,結局は農業土木を先細りにさせ ることになると思います。十年,百年,…,千年後にど んな問題が待ち受けているか誰も予言することはできま せん。小中高校時代を通して知識を詰め込むことに慣ら されてきた学生には,大いに考える時間を与え,感受性 の強い,好奇心の旺盛な学生時代にこそ自由な発想・思 考の訓練をさせるべきです。それが本当の意味での教育 ではないでしょうか。学生のうちから農業土木事業とい う枠をはめることなく,大学の農業土木牧場に自由な発 想のできる人材を育成しなければならないと思います。
 大学では,農業土木学の全体像(自然と人間の調和の 重要性,人間社会における農業の歴史的役割など)を教 え,あとは若い個性または感覚に任せて,自分の好みに 合う科目を選択させればよいと思います。
 大学教員が,時代の流れを素早く感知し,新しいもの を創造する研究者として,また学問を正しく学生に伝え る教育者として,目的意識を持って真剣に研究していれ ば,学生はそのふれあいの中から自分なりの問題解決方 法を見つけていくはずです。
 ひとりひとりの個性を最大限に引き出して,その能力 を信じましょう。若者は自由な雰囲気の中から,一生を 通して自分の「武器」となる何かをきっと見つけます。 未来の農業土木を担うかわいい子には旅をさせ,もっと もっと他分野に目を向けさせ,はみ出し者を創り出しま しょう。そうすれば,そこから新しい発想が生まれ,真 の農業土木学が発展するはずです。

VI. 総合学と基礎学の二重性−重箱論争の解答

 先生は,私の土壌物理研究に対して,「重箱の隅をつ つく前にやることがあるじゃないか」と言っておられま した。それは,学生の私を茶化して,農業土木の持つ総 合性の認識不足を指摘されていたのかも知れません。 先生の言われる「農業土木のロマン」は,自然と人間の 調和という総合学として,農業土木の発展方向を的確に 示すものだと思います。しかし,農業土木の総合性だけが 総論としてどんなに強調されよう了とも,それが基礎学を 土台にして論理的に説明されなければ「学問」とはなら ないことも確かです。これからの農業土木学には総合学 と同時に,それを支える基礎学を充実させることも忘れ てはなりません。重箱の隅(境界領域)には,若者が基 礎として何を身につけたらよいか,そのヒントが数多く 隠されているように思えます。

VII. 三重大学における改革の意味

 三重大学では一昨年,農学部と水産学部が統合され, 生物資源学部が誕生しました。内部には,「農学」とい う範疇を脱しきれず,新学部を農水学部というイメ ージで捉える雰囲気もあります。しかし,私は,生物資 源学部は食糧生産と地球環境保全というこれからの農業 あるいは農業土木が取組むべきテーマを総合的に研究で きる国立大学唯一の機関だ,と考えています。その意味 では,三重大学の改革は,元祖「農業土木学」から未来 「農業土木学」を目指すよう,故上野英三郎先生が与え てくださった絶好のチャンスなのかも知れません。

 若輩者がいろいろと好き放題のことを述べてきまし た。これに対するさまざまな批判は覚悟しています。し かし,いまの農業土木学に最も求められているのは学会 員が農業土木の将来を真剣に語り合うことではないでし ょうか。
 私は,将来ビジョン検討の成果は,食糧生産のための 農業土木(自然征服)から,食糧生産と地球環境保全の ための農業土木(自然と人間の調和)へのイメージチェンジ にあった,と解釈しています。委員会ですでに解答 は出されたのかも知れませんが,この誌上で,もう一度, 大いに農業土木学論争が展開されてほしいと思います。 とくに,若い世代からの議論が活発化することを期待し ています。

(1989.3.1.受稿)