「異」の中のCOWARDS

 −日本社会に巣づく談合精神−

        (1995.1)

生物資源学部 溝口勝

 家庭、田舎、地方、日本、世界、ひとりの人間が出会い、住み着く社会は 同じような構造を持ち、またその一つの社会に慣れるにも同じような過程を たどる。例えば、私は栃木の田舎の農家の2男として生まれた。地域の小中 学校で異なる家庭環境の他の個人と知り合い、高校でさらに他の地域の個人 と知り合った。そして大学では、18年間住み慣れた田舎を出て日本全国か ら個人が集まる東京で生活した。6年間後ある程度住み慣れた東京を離れ、 もう一つの田舎の三重に移り住んだ。さらに6年後日本からアメリカに渡り 約1年半の間他国の人と知り合う機会を得た。

 移り住むというのは異なる社会で生活することであり、それは異文化との 出会いでもある。環境の変化は常に個人と社会との間に摩擦を生み出す。が、 やがてはそれも消えて個人は成長する。都会の人間は田舎の人間の方言やな まりを軽蔑する。同じ日本語を話していても関東人だ関西人だと区別をした がるし、江戸だ上方だと文化の違いを強調したがる。しかしそんな区別した がりの日本人がアメリカでどんなに流暢に英語を喋ってみても、アメリカ人 には単なるジャパーニーズイングリッシュでしかなく、生まれ育った文化の 差が消えるものではない。同じ英語を話していてもカナダ人はアメリカ人と 区別したがるし、ヨーロッパ人はアメリカとは異なる自分達の文化に誇りを 持っている。

 日本人の意識の中には、アメリカ=東京、ヨーロッパ=京都、東南アジア =田舎、というアナロジーが存するのかも知れない。結局のところ、個人と 社会の関係は対象とする範囲の違いこそあれ、フラクタル(自己相似的)性 質を持っているようである。

 日本社会にはびこる談合の精神は日本という狭い国土に大勢の人間が生活 するため生み出された「棲み分け」に由来する。この棲み分けを徹底させて いるのが官僚制度である。例えば同じ技術手法を用いていながら、都市の生 活空間を創るのは建設省だし、農村の生活空間を整備するのは農水省という 具合いに役人は自分達の縄張りを明確にして、その縄張り社会での存在を誇 示したがる。日本国内にある学会にしても随分官僚的な印象を受ける。本来 学問分野に境界など存在し得ないはずにも拘らず、いつの間にかその学会組 織内のみで通用する権威なるものが出現してきたりする。

 「だから、日本が悪いのだ」とは更々いう気はない。どの社会にだって何 等かの役割分担は存在するし、その中でのある程度の統制は必要である。た だ、今の日本では、社会というのは異質なものが混在することによって成り 立っているという当り前のことを忘れられてしまっているのかも知れない。 小中学校の義務教育ではみんな等しく同じものを学び、みんなが同じ価値観 を植え付けられ、その同じ価値観のもとに大学に進学し就職する。年齢とと もに木の枝葉は切り取られ、みんな空に向かってまっすぐに伸びてゆく。枝 振りなど鑑賞している間もない。

 日本社会に存在する常識にはばらつきが少ない。この社会では詳しい説明 などいらない。みんな「権威」者の話をウンウンうなずきながら聞いて理解 してしまっている。下手に質問しようものなら高圧的に「君、勉強不足だ!」 としっぺ返しを食らうか、訳の解らぬ禅問答をするだけである。日本社会は もともと議論というコミュニュケーション手段を持たないようである。アメ リカの学会などを見て印象的だったのは、1メートルも離れていないところ に立った2人がポケットに手を入れながら、会場のみんなによく聞こえるよ うに議論をしていた姿である。こうした議論はスピーカーの話の内容をより 理解する上で大いに効果的である。

 日本は棲み分け社会である。その社会を維持するためにはその縄張りを決 める親方(役人)が不可欠である。それは狭い国土で共存をはかるための知 恵であろう。しかし、その棲み分けがいろんな意味での閉鎖性につながって いる。国際化というのはこの社会の特徴を理解しつつ国際社会に住み着くこ とである。そのために我々ができることは「異」を認め、「異」を尊重しつ つ、「異」とつき合うことである。ひとりでも多くの人が「異」の社会から 自分の所属する社会を眺めて、考えてみることが日本あるいは自己の国際化 につながる唯一の方法だと思う。

(アメリカの学会帰りの飛行機にて)

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