ツンドラ土壌から地球環境の健康状態を診断する

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生物資源学部・助教授 溝口 勝

  1. はじめに
  2.  昨年は地球温暖化防止京都会議が開催された。マスコミは連日のようにこの話題を取り上げ、現代の消費社会に警鐘を鳴らした。地球が温暖化しているとすれば、その影響は南極や北極圏に現れやすい。その意味で温暖化の優れたセンサーとして永久凍土の融け方を測ってみるのも面白そうだ。国際共同プロジェクトに参加した私は、昨年夏そんな動機でシベリアのツンドラ土壌を調査した。本講座では、地球温暖化の問題を整理した後、ツンドラや凍土の話を交えながら、私たちの暮らしの場である地球環境とツンドラ土壌との関係について考えてみることにする。

  3. 暮らしの中の地球環境
  4. (1)地球温暖化

     数万年スケールで見たときに人為的な要因によって地球が暖かくなってきている現象を地球温暖化という。地球温暖化に伴う異常気象によって地球の平均気温は100年後には2℃上がり、南極や北極圏の氷が解け出し、海水面が平均50cm、最大で1mも上昇する(IPCC,気候変動に関する政府間パネルの報告)。そうなると地球上の陸地が減少し、高潮などの被害が増え、豪雨や干ばつなどの水資源への影響が現れる。そして、砂漠化の進行、農作物への被害、食糧危機、さらにはマラリアなど生物媒介性の伝染病の増加などが予想されている。このシナリオが本当だとすれば、地球温暖化は私たちの暮らしの中でまさに「いのち」に関わる深刻な問題である。

    (2)研究の現状

     地球温暖化の原因は人間活動に伴って放出される二酸化炭素(CO2)をはじめとする温室効果ガスにあるとされる。このため昨年の京都会議では、各国がCO2排出の削減量に凌ぎを削った。しかしながら、人間活動に伴うCO2の排出がどのようなメカニズムで地球温暖化に寄与するのか、その科学的解明は最近ようやく始まったに過ぎない。CO2 が本当に地球温暖化の原因なのか、それが長い地球の歴史の中でどの程度のものなのか、私たちが冷静に判断すべきデータが不足してしているのが現実である。

     

  5. 気候変動の予測とモデルの検証
  6.   (1)地球温暖化シミュレーション

     実際に21世紀にもなっていないのに、地球温暖化による影響がどうしてわかるのだろうか?これにはシミュレーションという手法が使われる。これは、実物を真似たモデルをコンピュータ上につくり、いろんなパターンを試しながら結果を予測する方法である。いわば一種のテレビゲームのようなものである。
     地球温暖化の影響を予測するためには地球全体の気候変動を知らねばならない。それには大気大循環数値モデル(General Circulation Model, 通称GCM)が使われる。地球上の大気や水の動きを支配する法則を調べ、それに基づいてコンピュータモデルを組み立て、現在のデータを入力して、結果を得る。一連の作業はとても一人でできるようなものではない。そこで、通常はそれぞれの得意な分野の研究者が集まって共同で作業することになる。

      (2)モデルの検証−GAMEプロジェクト−

     シミュレーション結果が得られたとはいえ、その確からしさを検証する必要がある。そのために、地球全体のエネルギー・水循環の動態を把握することを目的にしてGEWEX(全球エネルギー・水循環実験計画,Global Energy and Water cycle Experiment)という国際プロジェクトが進行している。GEWEXは図1に示すような大陸スケールの観測地域を設定している。
     日本はアジア大陸の4地域を対象にして、気象学と水文学の研究者を中心にこの国際共同プロジェクトに参加している。そのプロジェクトは語呂よく、GAME(GEWEX Asian Monsoon Experiment)と名づけられている。今回私が参加したツンドラ土壌調査はこのプロジェクトの中にある。

    図1 GEWEX大陸スケールエネルギー・水循環実験計画の概要(文献1)
    マッケンジー川(MAGS),北米大陸のミシシッピー川(GCIP) ,南米大陸のアマゾン川(LBA),ヨーロッパのバルト海周辺(BALTEX),アジアモンスーン(GAME)

      4.優れた地球環境センサー −シベリア−

     「シベリア」という言葉から私たちは何を連想するだろうか?シベリア抑留・シベリア鉄道…。とにかく寒いところというイメージが一般的である。実際シベリアのインジキルカ河上流オイミャンコンでは1932年に-71.2℃という最低気温を記録している。 図2はシベリア地域の全体図である。GAMEシベリアは日本と経度がほぼ等しいレナ河流域を観測地域とし、地表面の植生によってタイガ班とツンドラ班に分かれている。タイガ班は同じシベリアでも南部の針葉樹林地帯を、ツンドラ班は北部のツンドラ地帯を調査している。ツンドラ班の調査地はレナ河河口のチクシという町にあるツンドラである。

    図2 シベリア地域の全体図(文献2に加筆)

     

  7. シベリア永久凍土
  8.  「少なくとも2年以上、温度が0℃以下を保っている大地の状態」を永久凍土という。シベリアにはこの永久凍土が広く分布する。その面積は地球上に存在する永久凍土の半分を占め、日本の面積の26倍である。永久凍土は少なくとも第4紀はじめ(数百年万年前)に形成されたものといわれ、現在は地球上の全陸地面積の14%を占める。またその厚さは深いところで1000mを越すといわれている。

    図3 シベリアの月平均気温分布   (文献3, p.11を画像修正)

    (2)ツンドラ

     永久凍土とはいうものの夏には数十センチメートルほど融ける。この地域の生命はこの短い夏の間に活動するために、この層は「活動層」(夏季融解層)と呼ばれる。地表面を覆っているのはコケや地衣類のような草本である。冷涼なため農業には適さない。寒冷地のこうした土地を「ツンドラ」という。
     図3はシベリアの月平均気温分布である。シベリアのツンドラ地域は年間を通じて寒く、強風に見舞われる。これは夏と冬の気団配置による。シベリアで生まれた寒気団は、日本の冬の寒さを象徴するものとして、私たちの暮らしの中でもお馴染みであろう。

    図4 ツンドラの土壌断面.40cmも掘ると永久凍土層にあたる.周りから水が流れ込んでくるために土壌断面を観察するのも難しい.(文献4)

    (3)ツンドラの生命活動

     積雪や凍土の融解水は永久凍土層に阻まれ地下に浸透できない。また夏とはいえシベリアの冷涼な気候は土壌水分の蒸発を低く押さえる。このため、年降水量が200mm程度であるにも関わらず広大な平地の表面はまるで水田のような湿地になっている。
     こうした低温と湛水の環境条件下では植物遺体の分解が遅いため泥炭(土壌)が形成される(図4)。泥炭を掘り起こして見るとミミズやモグラらしき小動物もいた。短い夏を満喫するかのように所々に花も咲き乱れていた。このようにツンドラでも立派に生命活動が営まれている。それにしてもツンドラ地域の小動物たちは、大地一面が完全に凍ってしまう厳冬をどのように過ごしているのだろうか?その生態はまだ謎である。

      (4)寒冷地の地形

     ツンドラ地帯には構造土と呼ばれる寒冷地特有の珍しい地形も見られた。図5はツンドラ湿地帯の至る所に見られる直径50-60cmのフロストボイルという泥の吹き出しである。夏が終わり活動層が再び表面から凍結する際に泥が永久凍土と表面凍土に挟まれて行場を失って吹き出たものと考えられる。その他に正六角形をした1辺1m程のアースハンモック(図6)なども見られた。

    図5 フロストボイル.直径50-60cmの泥の吹き出しが点在する.泥には砂利が含まれることもある.植生がないのでこの下の凍土の融け方は速い.

    図6 アースハンモック.大地に直径1-2mの亀甲模様が現れている場所もある.この他に直径20mほどの亀甲模様も見られる.(文献4)

     今回の調査では見ることができなかったが、永久凍土地帯にはアラスと呼ばれる湖群やピンゴと呼ばれる小高い丘もある。大地の彫刻ともいえるこれらの地形も、地表面の熱収支と植生との微妙なバランスによって形成された寒冷地特有のものである。森林伐採による植生破壊や地球大気のCO2濃度に伴う温暖化の影響は何らかの形でこれらの彫刻作品にもキズを残すのかも知れない。さて、私たちの子孫は将来この彫刻から現代の暮らし振りをどのように評価するだろうか?

  9. ツンドラ土壌の融解・凍結
  10.   (1)土が凍ること・融けること

     国語辞典で「凍る」という言葉を調べると、水などの液体が低温で固体になること、と説明されている。また「融ける」という言葉を調べると、固形物が熱によって液状になること、と書いてある。では「土が凍る」「凍土が融ける」とは一体どういうことなのだろうか?
     土は土粒子が集まったもので、粒粒の土粒子と土粒子の間にはたくさんの隙間がある。この隙間には水や空気が入っている。土が凍る(凍結する)というのは、この隙間の液体状態の水が氷になって土全体が固くなることである。それが凍土である。一方、凍土が融ける(融解する)というのは、間隙中の氷が液体状態の水になることである。したがって、凍土に与えられる熱エネルギーのほとんどは氷の凍結や融解のエネルギーとして使われる。土が凍結・融解するといっても決して、土粒子そのものが固体になったり液体になったりするわけではない。

      (2)凍土の性質

     凍土はコンクリートのように堅く、水を通しにくい。まさにこの性質のために、ツンドラでは融雪水が永久凍土に阻まれて地下に浸透できず、地表面が水田のような湛水状態になる。また、この性質を利用してクリーンなエネルギー源として注目されているLNG(液化天然ガス,貯蔵温度-162℃)地下タンクの周辺は温度制御された凍土によって護られている。さらには地盤凍結工法として東京湾横断道路の海底トンネルや大都市地下洪水調整池工事などにも人工凍土が利用されている。
     凍土のもう一つの特徴は、凍りつつある凍土が周囲の水を凍結面に集積することである。この水の移動のために土全体の体積が膨張することがある。これを凍上現象という。

    図7 実験室内で人工的に作ったガラスビーズ中のアイスレンズ.黒い部分が氷(文献5)

    図8 カナダ北極海岸マッケンジーデルタにあるイブークピンゴ(奥)とスプリットピンゴ(手前),共に高さ50m(文献6)

     図7は実験室内で人工的に作ったガラスビーズの凍上写真である。土壌中における熱の流れと水の流れの条件が揃うと写真のような飛び飛びの氷層(アイスレンズ)ができる。ツンドラの永久凍土を掘り起こすとこれと同じようなアイスレンズを見つけることができる。また厳密には生成過程が異なるが、ピンゴと呼ばれる寒冷地特有の小高い丘の内部にも氷の塊が存在することが知られている(図8)。寒帯の"ニキビ"ともいえるピンゴはまさに大自然の微妙なバランスが作り出す芸術作品である。

      (3)凍土の融け方

     ツンドラ土壌表面を覆った積雪は5月の中頃から融け始め、やがて地表面の所々が太陽に曝される。こうして冬季に完全に凍っていたツンドラ凍土が夏季の日射を受けて地表面から融解することになる。ツンドラ凍土の融け方は基本的に地表面の熱収支によって決まる。その熱収支を支配するのは、日射や風速などの気象要因と凍土の熱伝導率や含水率および表面植生などの場所的な要因である。
     地表面はコケやスゲなどの植生が異なること、あるいは図5のような泥の吹き出しなどがあちこちにあるために、活動層厚さは場所によってかなりのバラツキが見られる。つまりコケなどの植生がある場所では、植生が“布団”のように断熱的な働きをするために融解が進まず、一方泥が吹き出た場所では深くまで凍土が融けている。図9は、昨年夏平原の一部を測定した活動層厚さの空間的分布である。この結果は、永久凍土面が必ずしも平らでなく融解層はその凸凹した永久凍土面に溜まっていることを裏付けるもので、ツンドラ地域における融雪水や凍土融解水の水文的な特性を解明する手掛かりになるものと思われる。

  11. おわりに
  12.  生命体の発見で沸いた火星の地下にも永久凍土が存在するといわれ、凍土は宇宙開拓の面からも注目されている。火星でもシベリアでも日本でも、環境条件は異なるものの凍土の本質的な性質は変わらない。凍土を研究するものとしては興味が尽きないところである。
     「暮らしの中のいのち」という三重大学公開講座のテーマに私の講座が相応しかったかどうかは甚だ疑問であるが、ツンドラ湿地帯を自分の足で歩き広大な平原の一角に咲く紫色の花畑を見たとき、ツルハシを振りかざして掘ったツンドラ土壌の中にミミズの姿を見つけたとき、厳しい自然の中でも逞しく生き抜いている「いのち」には大いに感動したのは事実である。
      私の話をお聴き頂きいた皆様が、少しでも地球環境問題や凍土に関心を持ち、「いのち」の場である地球環境と遠いシベリアのツンドラ土壌との関係を探る研究に夢を感じて頂けたならば幸いである。

    参考文献(出典)

1)小池俊雄:GAMEプロジェクト−アジア域の水資源管理における意義−,http://monsoon.nagaokaut.ac.jp/tibet/misc/gstory/index.html
2) http://mirrors.org.sg/world_facts/factbook/map-gif/rs-150.gif
3)福田正己:極北シベリア,岩波新書(1996)
4)溝口勝:http://buturipc6.bio.mie-u.ac.jp/mizo/siberia97/tundra/tundra.html
5)武藤由子ら:ガラスビーズ中におけるアイスレンズ形成過程の顕微鏡観察,農業土木学会論文集,pp. 293-299(1998)
6) H.Ozawa:http://www.aip.org/physnews/graphics/condensed/1997/frost/frost.htm
7)溝口勝ら:ツンドラ平地における活動層厚さの空間的変動特性,GAMEワークショップ論文集(1998)